浜松市 | 浜松の由来 | 浜松の称は、万葉集に普通名詞で七首でてくるが固有名詞では出てこない。固有名詞で「浜松」の称は平安中期の人源順があらわした漢和辞典固有名詞で「浜松」の称は平安中期の人源順があらわした漢和辞典「倭名抄」の国郡部にはじめて郷名として現出。浜松の古名は「浜津」「倭名抄」に高山寺本と流布本がある。高山寺本は「浜津」、流布本は「浜松」「波万万津」と記述。伊場遺跡の木筒より「浜津郷」が出る。天竜川を中心に低湿地で海、浜とか河川跡には松が群生、いたるところが松林。浜の松から「浜松」という地名が発生したという。他に色々な伝説がある。 | |||||||||||
凧の由来 | 凧揚げ合戦が主役の浜松まつりはいつ頃から始まりか判らない。室町末期に時の城主の長子を祝い佐橋甚五郎が初凧を揚げたのが始まり?絶対的でない。明治にはいってから「浜松城記」があったかのように創作した話を意図的に発表し定着した。 図柄は町の命、町の定紋半纏印、氏神祭社の際軒下に吊るし祝う提灯紋等取り入れる。公認の消防組みの纏頭、町の定紋、町の神社紋、地名由来、町の頭文字、募集からの凧図。 |
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浜松祭り情報http://www.hamamatsu.tokai-ic.or.jp/hamamatsu/matsuri/ | |||||||||||||
浜松祭り中継http://www.hamamatsu.tokai-ic.or.jp/hamamatsu/matsuri/fest2000.html | |||||||||||||
SAPPHIRE CASABLANCA花人氏のからの 各町の情報です | |||||||||||||
どきどきカレンダー静岡県西部の年間行事、イベント、釣りなどの情報が満載です | |||||||||||||
相生町 (あいおい) |
世帯数 : 352戸 総人口934人 男性438人 女性496人 自治会長 :渡辺 宏 |
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町由来 | 「相生の松」高砂の松と住吉の松をいう夫婦が共に長生きすることを意味。おめでたい言葉当時街道を往来する旅人や里人に広く知られていた「相生の松」が存在していたことによる。天神町村大字向宿字相生の土地と上中島のごく一部とが合体して新しく生まれた。 | ||||||||||||
たこ由来 | 町名にちなんで「相」を赤「生」を青色で図案化。御殿屋台あり | ||||||||||||
葵西 (あおいにし) 永田会長 松井組長 |
一丁目 | 世帯数 : 216戸 総人口 640人 男性327人 女性313人 自治会長 :永田 喜一 (一〜六丁目の全部) 町由来 : たこ由来 : |
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二丁目 | 世帯数 : 558戸 総人口1586人 男性754人 女性832人 | ||||||||||||
三丁目 | 世帯数 : 733戸 総人口2087人 男性1060人 女性1027人 | ||||||||||||
四丁目 | 世帯数 : 523戸 総人口1454人 男性712人 女性742人 | ||||||||||||
五丁目 | 世帯数 : 501戸 総人口1449人 男性701人 女性748人 | ||||||||||||
六丁目 | 世帯数 : 750戸 総人口2104人 男性1039人 女性1065人 | ||||||||||||
町由来 | 1963年に合併独立。明治維新に幕臣が多く入植し家康の「東照宮」もあった。そこで徳川家康の家紋である「三つ葉葵」にちなんで葵町と名前をつけた。 | ||||||||||||
たこ由来 | 昭和61年初参加。以前から大凧揚げの風習ありそのとき使用したのが「葵」文字。ご殿屋台あり | ||||||||||||
一言 | 葵西組です。新世紀を迎え諸先輩の積み重ねた伝統を引き継ぎ規律と統制をスロ−ガンに今年度もがんばります | ||||||||||||
葵東 (あおいひがし) 染谷会長 松尾組長 |
一丁目 | 世帯数 : 200戸 総人口459人 男性230人 女性229人 自治会長 :染谷 元旦 (一〜三丁目の全部) |
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二丁目 | 世帯数 : 692戸 総人口1752人 男性863人 女性889人 | ||||||||||||
三丁目 | 世帯数 : 70戸 総人口209人 男性105人 女性104人 | ||||||||||||
町由来 | 1978年(昭和53年)葵町の東を分家し「葵東」とした。 | ||||||||||||
たこ由来 | 町には葵東照宮があることから三つ葉葵の家紋を使用、東を略字にして右上隅にデザイン化 ご殿屋台あり | ||||||||||||
組の特徴 | 今の浜松祭りが好きというより、凧揚げ祭りがすきという凧揚げ合戦が大好きな葵東組です | ||||||||||||
町内のPR | 家康公ゆかりの地なので凧のしるしも葵の紋に東をつけた凧印にしています 家康は野戦の天才と言われ、我が葵東も常に浜松一の凧揚げ合戦を目指しがんばっています |
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組長の抱負 | 2001年新しい世紀を迎えよい伝統は継続し,新しいものにチャレンジして常に向上していく葵東にするよう組員一同がんばっていきたいと思います | ||||||||||||
一言 | ここ4年間葵東組の手ぬぐいが他町とは少し違い,手ぬぐいに葵東に係る文字を入れたおしゃれな手ぬぐいとしています | ||||||||||||
青屋町 (あおや) |
世帯数 : 202戸 総人口540人 男性272人 女性268人 自治会長 :内山 彌恵治 |
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町由来 | 天竜川の中洲に存在していた村。青い柳が一面に繁茂していた。[青柳の土地」と呼れたがいつのまにか「あおや」に変わってしまった。 | ||||||||||||
浅田町 (あさだ) |
南部公民館 | ○南部公民館まつり 7/29〜7/30 10:00〜1700(30日は16:00まで) 金魚すくい,芸能発表,作品展示、体験コーナー、マーケット 茶席コーナー、くじ引き,ヨーヨープレゼント,ぬり絵大会 日用品バザー,花と緑コーナー,香 体験コーナー等 |
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自治会名 :浅田町東 世帯数 : 345戸 総人口935人 男性445人 女性490人 自治会長 :藤田 隆 |
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町由来 | 朝田とも呼ばれていた。川の氾濫により度々水害を、受けたので「浅い田」と称して転化した。水害の受けない良い稲穂が収穫される田のことを「深田」という、対比で考えると面白い。 | ||||||||||||
たこ由来 | 大正初期まで花札の「あやめ」の絵凧。今は浅田の頭かな「あ」を中心に「田」を右上と左下にけてデザイン化。ご殿屋台あり | ||||||||||||
旭町 (あさひ) |
世帯数 : 12戸 総人口19人 男性10人 女性9人 自治会長 :竹山 勉 |
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町由来 | 浜松停車場(浜松駅)が設置するまで八幡池(地)「浜松八幡地村」と呼び田圃の真中。以来大躍進する、朝日が昇るありさまの発展。これから始まる町の意味「朝日町」と呼ぶ大正14年地籍整理の時、正式に旭日昇天の「旭町」(あさひちょう)となずけられた。 | ||||||||||||
小豆餅 (あずきもち) 黒野会長 磯部組長 |
一丁目 | 世帯数 : 496戸 総人口1196人 男性614人 女性582人 自治会長 :黒野 富男 (一〜四丁目の全部) |
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二丁目 | 世帯数 : 317戸 総人口799人 男性389人 女性410人 | ||||||||||||
三丁目 | 世帯数 : 301戸 総人口748人 男性389人 女性359人 | ||||||||||||
四丁目 | 世帯数 : 237戸 総人口656人 男性319人 女性337人 | ||||||||||||
町由来 | 家康が武田軍から逃げるとき小さな茶屋で小豆餅を食べていたところ敵が追撃してきたので金を払わず逃走した。主人が追いかけて銭を払わされたので「銭取り」となる。茶屋のところが「小豆餅」という地名となった説。戦死した人をまとめて埋葬して小豆餅を供えて大念仏をした。ここから名前がつけられた説。 | ||||||||||||
たこ由来 | 地名から餅つきの杵を中心に左右に一文銭を左右にし,小豆餅の小の字をデザイン化。ご殿屋台あり | ||||||||||||
一言 | 新世紀の幕開けの相応して「勇壮」で「粋」な祭りをあづき連一丸になって繰り広げたいと思っています | ||||||||||||
有玉 (ありたま) 窪野会長 田辺組長 |
有玉西町 | 世帯数 : 1407戸 総人口4128人 男性2077人 女性2051人 自治会長 :加茂 義尚(欠下平) 森 信勝 (欠下本村) 宮下 薫 (有玉台) 河内 明次(有玉団地) |
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町由来 | 1958年有玉から南北西の三町に分離.有玉の西の方面町 | ||||||||||||
有玉南町 | 世帯数 : 1054戸 総人口3264人 男性1615人 女性1649人 自治会長 : 高林 一二(西畑谷) 中村 順一(川原本村) 高木 周市(市場) 笠原 重男(下村新田) |
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町由来 | 積志村有玉から南北西の三町に分離。海に赤蛇神が棲息していたので航海する船は転覆坂上田村麻呂は薬師菩薩の力で船岡山についた。館に美女が訪れ世話をした。子供ができるが産屋に入らないと約束するが破り押入ると赤大蛇の中に子供がいた大蛇は美女に変わるが海に帰るといって「潮干の珠」を子供(俊光将軍)に授け海に身を隠した。天皇の命令が下りこの地につくと岩田の海は大波がわきたつ母から授かる珠を投げたら陸地に続く平野が現れた「珠」の沈んだ所を「有玉」その光るところに「有玉の社」を建てた。 | ||||||||||||
有玉北町 | 世帯数 : 947戸 総人口2949人 男性1436人 女性1513人 自治会長 :砂子 稔(新村) 武藤 英(町田) 高林 通雄(上瀬) 竹内 康喜(小島) |
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町由来 | 1958(昭和33)年有玉から南北西の三町に分離。有玉の北地帯 | ||||||||||||
たこ由来:由緒ある有玉神社の「有」の字を凧印にした。 |
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組の特徴 | 有玉地区(西南北)の13自治会の協力で参加しているので範囲が広く3日間練り歩くのが大変である(3日間のうち1日はバスで移動する) | ||||||||||||
町内のPR | 有玉神社秋祭りに集まる有志で気心が知れ統制が取れている。 ただし酒の誘惑に弱い |
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組長の抱負 | 遠くまでとんだ記録があるが、高さの記録がない 凧を空高く上げる事 |
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一言 | 浜松祭り11年目,今年も初心を忘れず会員一同初子さんの健やかな成長をお祝いいたします | ||||||||||||
町由来 : たこ由来 : 有玉連凧揚会http://www1.neweb.ne.jp/wa/koba/ |
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安新町 (あんしん) |
世帯数 : 288戸 総人口688人 男性312人 女性376人 自治会長 :渡瀬 明光 |
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町由来 | この土地の旧家安間家の財力と力を背景に新田開発。浜松に合併した際、安間新田を略し「安新町」に決まる。 | ||||||||||||
安間町 (あんま) |
世帯数 : 428戸 総人口1386人 男性678人 女性708人 自治会長 :斎藤 満 |
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町由来 | 海人族(あまぞく)が住み着いた土地。水の利用、防ぐはお手の物、海人から阿間(あま)につぎに安間に変わったと考える。 | ||||||||||||
たこ由来 | 安間町の頭文字を取ったもの。 | ||||||||||||
飯田町 (いいだ) |
世帯数 : 1337戸 総人口3941人 男性2013人 女性1928人 自治会長 : 杉山 孝彦(田畑) 伊藤 実男(上組) 大塚 治司(新田) 寺田 友信(西) 杉山 康治(開戸) |
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町由来 | 米のよく取れる良い田であったので飯田になった説。蒲神明宮に奉納、神に供える、米や野菜を栽培する土地を斎田(いみだ)(さいでん)という、これが転化してイイダとなった説。古来「幡多(はた)」の郷又は「判多(はんた)」の郷と呼ぶ。はんたを飯田(はんた)と書く説。古来「幡多(はた)」の郷又は「判多(はんた)」の郷と呼ぶ。はんたを飯田(はんた)と書く説。 | ||||||||||||
たこ由来 | 飯田町の頭文字の仮名「い」を大きくして「田」の字を左したから右上までデザイン化吹流し様に凧印として使う。 | ||||||||||||
池町 (いけ) |
世帯数 : 73戸 総人口215人 男性90人 女性125人 自治会長 :花井 雄一郎 |
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町由来 | 平家全盛のころ池禅尼、平清盛の継母は慈悲深い人この女性が若いころ住むその縁故の深い土地から、またその庵の近くに大きな池「比丘尼池」があったからともいう。 | ||||||||||||
凧の由来 | 大正末まで池町消防団の纏の印「豆腐と団子」今は、芳鮮寺の催しに使う五色の幕の図柄 御殿屋台あり | ||||||||||||
伊左地町 (いさじ) |
世帯数 : 1028戸 総人口3496人 男性1743人 女性1753人 自治会長 :野嶋 唯史 |
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町由来 | 砂地で田畑,宅地が構成されている町ということで「伊佐地」と呼ぶ。1959年浜松市に編入 | ||||||||||||
石原町 (いしはら) |
世帯数 : 380戸 総人口1082人 男性507人 女性575人 自治会長 :小嶋 晃 |
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町由来 | 天竜川の氾濫で流失したあとにつくられた集落、周辺は河原だから石が多く耕作に適さない原だったので「石原」と呼ぶ。 | ||||||||||||
泉 (いずみ) 岸会長 鈴木組長 |
一丁目 | 世帯数 : 696戸 総人口1680人 男性857人 女性823人 自治会長 :岸 徳(一丁目〜四丁目、和泉町の一部) |
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二丁目 | 世帯数 : 615戸 総人口1599人 男性803人 女性796人 | ||||||||||||
三丁目 | 世帯数 : 450戸 総人口1144人 男性587人 女性557人 | ||||||||||||
四丁目 | 世帯数 : 444戸 総人口1225人 男性631人 女性594人 | ||||||||||||
町由来 | 五穀が豊かな実りの秋を迎えるため良い水に恵まれる地。人を愛する思いと全てが泉のようにこんこんと湧く段子川の上流地帯から思いを込め命名。 | ||||||||||||
たこ由来 | 銭取りの由来から昔の銭印の一文銭を凧印にし「泉」の文字を右上に配す。する「わつなぎ」印と呼ぶ。両端が切ってあるのは限りなく輪(和)が続く意を示す。ご殿屋台あり | ||||||||||||
一言 | 参加16年目の泉組です。新たな100年が始まる記念すべき年のまつりを勇壮かつ華麗に飾りたい | ||||||||||||
泉町 (いずみ) |
世帯数 : 64戸 総人口178人 男性87人 女性91人 自治会長 :杉山 喜久蔵(和合町に含む) 町由来 : たこ由来 : |
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板屋町 (いたやまち) |
世帯数 : 103戸 総人口236人 男性98人 女性138人 自治会長 :河田 勝 |
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町由来 | 木材の板を販売していた商人の町説。板葺の家屋が続いていた説。岡崎城下より家康が、板屋町に住む商人を多勢連れてきてここに住まわせ岡崎のなつかしい地名をつけた説 | ||||||||||||
たこ由来 | 丸は「い」を現し「い」の町とか、輪つなぎも「い」を合わせ、親睦の表現と様々に云われ判然としない。ご殿屋台あり | ||||||||||||
市野町 (いちの) |
世帯数 : 1738戸 総人口5326人 男性2661人 女性2665人 自治会長 :堀内 泰二(東) 玉木 澄男(南) 沖 計夫(北) |
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町由来 | 笠井が浜松と並ぶ宿場の時、公認の笠井の市青空市場と市野の市があったが、市野は無公認であった、野天で開催される市ということで、「市野」と呼ばれる。 | ||||||||||||
たこ由来 | 「市」の牡丹文字を基本に図案化。 | ||||||||||||
入野町 (いりの) |
世帯数 : 4502戸 総人口12406人 男性6324人 女性6082人 自治会長 :青木 秀恵(彦尾) 嶋津 守矢(本所) 小田木清種(道陸地) 竹村 英俊(北脇) 井ノ口 泰三(田畑) 内藤 元巳(臨江山) 河野 彌一(南平) 須崎 宗治(県営南平団地) |
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町由来 | 村の北に入江あり、入り江の野原があったので入野という語が発生。 | ||||||||||||
たこ由来 | 引馬城主長男、義廣公の誕生祝を入野村住人、佐橋甚五郎の発案で凧に記したことに由来植えてある家が多い。 | ||||||||||||
植松町 (うえまつ) |
世帯数 : 1106戸 総人口2638人 男性1355人 女性1283人 自治会長 :袴田 義弘 植松町凧揚げ会の由来:来より「うえまつのはら」と呼ばれていた当地区には、松の大木がありました。また、三蓋松は老松と心のやすらぎを表しております。この紋が植松氏紋と言われていることから、町の紋として古くから用いられておりました。明治・大正時代の凧合戦ではこの紋が用いられており、平成2年の復活の際に再び凧印となりました。 植松町凧揚会は、浜松祭り参加を目的に結集した有志の会です。平成2年に稲垣道雄会長を軸に発足し、植松町としての凧揚げ祭り参加復活を果たしました。それと共に、地元・蒲神明宮の秋期祭典でのみ引き廻されていた屋台で、御殿屋台の市中引き廻しにも参加しました。以来、本年度まで凧・屋台とも続けて参加しています。
凧揚会 http://www3.tokai.or.jp/uematsu-tako |
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まち由来 | 鎌倉時代に植松が原と呼ばれ「松」が多く茂っていた。この地区の民家にも最近まで、松が大変多く植えられていた。 | ||||||||||||
たこ由来 | 平成2年に復活参加。右三蓋松の凧印で参加した。ご殿屋台あり | ||||||||||||
瓜内町 (うりうち) |
世帯数 : 933戸 総人口2741人 男性1369人 女性1372人 自治会長 :飯尾 恭一 |
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町由来 | この町は瓜の特産地であった。土地が瓜の栽培に適していたので瓜地と呼ぶそれが変る。 | ||||||||||||
たこ由来 | 戦前は片仮名「ウ」であったが「瓜」の感じを出すために仮名「う」に変わった。 | ||||||||||||
江之島町 (えのしま) |
世帯数 : 107戸 総人口447人 男性220人 女性227人 自治会長 :本目 明 (東) 内山 博之(西) |
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町由来 | 地名はすべて海、河、水江の郷にある。ここの土地からの眺望は美しい景色で色取られているので江之島町という地名がつけられた。 | ||||||||||||
たこ由来 | 白色は初参加の初心を忘れないように、赤色の「江」は祭りに対する情熱と結束、発展を表す | ||||||||||||
海老塚 (えびつか) |
一丁目 | 世帯数 : 488戸 総人口1042人 男性527人 女性515人 自治会長 :鈴木 一民(一丁目〜二丁目、海老塚町) |
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二丁目 | 世帯数 : 607戸 総人口1402人 男性671人 女性731人 | ||||||||||||
町由来 | 昔、このあたりは入江であった。沢山のえびが取れて、土地の生命の糧の役割をしていた。海老を食べてその殻をまとめて捨ていた。海老の霊を弔うため「塚」をつくる。ことが由来海水の変異で大量の海老がうちあげられた、神の怒りと思い「沢山の死骸を葬り塚と称す。この町を開拓した人が健康で腰がまがるまで寿命が保って、土地のために貢献しようと誓い「海老塚村」と命名説。「蛇塚」がいつのまにか「海老塚」に転化した俗説。 | ||||||||||||
たこ由来 | 参加当時はアルハベットのA、その後町名のエ、背景に右肩から左下にかけて二本のラインが描かれ色々変化して今の凧印は青(赤)地字に白抜きの仮名字「エ」。御殿屋台あり | ||||||||||||
世帯数 : 92戸 総人口195人 男性92人 女性103人 自治会長 :鈴木 一民(海老塚町、海老塚一丁目〜二丁目) |
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遠州浜 (えんしゅうはま) |
一丁目 | 世帯数 : 676戸 総人口1833人 男性892人 女性941人 自治会長 :松島 哲 |
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二丁目 | 世帯数 : 588戸 総人口1594人 男性825人 女性769人 自治会長 :鈴木 信隆 |
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三丁目 | 世帯数 : 696戸 総人口2041人 男性995人 女性1046人 自治会長 :杉田 知弘 |
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四丁目 | 世帯数 : 340戸 総人口836人 男性392人 女性444人 自治会長 :佐藤 充彦 |
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町由来 | はじめは遠州浜町と称す。昭和47年1月遠州浜の新町の誕生。南は浜から遠州灘に面しているところから「マンモス団地を」命名 | ||||||||||||
たこ由来 | 凧図柄の公募をした。選考基準は、凧印が他町と識別し易く、青空に映え、親しみが持てる。町頭仮名字「え」と決まる。 | ||||||||||||
町由来 : たこ由来 : 遠州浜組 凧揚会http://hihoo.net/egumi/index.htm |
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老間町 (おいま) |
世帯数 : 179戸 総人口537人 男性259人 女性278人 自治会長 :大場 八千雄 松本 正(老間団地) |
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町由来 | 天竜川の中洲にできた小高い平地。馬の放牧がおこなわれたところから老馬という地名お役目を果たした老馬を再生させる土地説。[落人]が愛馬と共に負た将と馬から負馬の説 | ||||||||||||
大蒲町 (おおかば) |
世帯数 : 628戸 総人口1665人 男性857人 女性808人 自治会長 :浅野 善一 |
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町由来 | ここの土地の最高指導者は藤原鎌足の子孫「蒲家」に最高の尊称である大をつけて、この地を「大蒲」とよぶようになった。一説には蒲神明宮の神官が住居していたので尊敬の念をこめて「大蒲」とよんだ。 | ||||||||||||
たこ由来 | 凧印は凧一杯に「蒲」の字を大きく力強く描く。 | ||||||||||||
大久保町 (おおくぼ) |
世帯数 : 523戸 総人口2093人 男性1043人 女性1050人 自治会長 :中村 静 |
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町由来 | 大昔は大窪の字を書く。大きく、くぼんだ土地であったので大窪と称し江戸時代前期に今の「大久保」三字に変わった。 | ||||||||||||
大島町 (おおしま) |
世帯数 : 774戸 総人口2514人 男性1254人 女性1260人 自治会長 :高橋 順兵衛(上大瀬) 橋本 恒彦(上前島) |
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町由来 | 旧、積志村上大瀬と上前島と他の一部で発足した町で上大瀬の「大」と上前島の「島」で大島 | ||||||||||||
大瀬町 (おおせ) |
世帯数町由来 : 1749戸 総人口5369人 男性2667人 女性2702人 自治会長 :花井 武志(栩木) 石津 義男(東) 伊原 満次(西) 石岡 英次(中) 中尾 利春(鷺の宮北部) |
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町由来 | 天竜川がこの付近を流路としていたころ大きな瀬であった。後に川の変遷より小高くなり「邑」が形成(人家)されたので「邑勢」(おおせ)とよばれ大瀬になった。 | ||||||||||||
大塚町 (おおつか) |
世帯数 : 114戸 総人口401人 男性195人 女性206人 自治会長 :袴田 征一 町由来 :伊勢神領下、蒲御厨の一角として、大きな塚(墓)がこのあたりにあった。 たこ由来 : |
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大原町 (おおはら) |
世帯数 : 215戸 総人口741人 男性352人 女性389人 自治会長 :一谷 恭次郎 |
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町由来 | 通俗的に三方原を「原」と呼ぶ。広義では「大原」と人々は呼称。俗名から命名した。 | ||||||||||||
大人見町 (おおひとみ) |
世帯数 : 869戸 総人口2899人 男性1453人 女性1446人 自治会長 :古橋 和夫 |
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町由来 | 「オビト」姓の一族が住んでいたところで,高みやぐらのようなものが有ったのでいつしか大人見というようになった説。隣接古人見が館山寺大草山から眺望すると三方原丘陵地帯の鼻のように見えることから「古鼻止美」に対して、この町が大きな鼻の姿をしてたので「大鼻止美」説 | ||||||||||||
大平台 (おおひらだい) |
一丁目 | 世帯数 : 202戸 総人口278人 男性105人 女性173人 自治会長 :中田 光男(一〜四丁目の全部) |
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二丁目 | 世帯数 : 187戸 総人口514人 男性255人 女性259人 | ||||||||||||
三丁目 | 世帯数 : 624戸 総人口1507人 男性763人 女性744人 | ||||||||||||
四丁目 | 世帯数 : 558戸 総人口1499人 男性763人 女性736人 | ||||||||||||
町由来 : たこ由来 : |
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大柳町 (おおやぎ) |
世帯数 : 154戸 総人口528人 男性262人 女性266人 自治会長 :長谷川 哲夫 |
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町由来 | ここは低湿地,水と柳は恵まれて,箸から農具まで自家製で柳の木を活用し自然発生の名前 | ||||||||||||
大山町 (おおやま) 加藤会長 野中組長 |
世帯数 : 210戸 総人口1215人 男性576人 女性639人 自治会長 :加藤 夷計 |
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町由来 | 小高い,広々した,山の中に位置している町ということで「大山」とした。 | ||||||||||||
組の特徴 | 21世紀、初めて参加する組となりました。私たち組は凧を通じ大山町内の親睦を深める目的で参加しました。組の雰囲気は明るく和気あいあいとしています。 | ||||||||||||
町内のPR | 大山町は浜松市内からの北西に位置し、東は姫街道に接し三方原町、花川町が広がり北は和光町、南は湖東町、西は和地町に連なりった細長い町です。町内は東大山区・二の平区・西大山区の3区で構成され農業中心の町であります。 | ||||||||||||
組長の抱負 | 町民の皆様に「参加して良かった」と言う祭りにしたい。 | ||||||||||||
一言 | 今年初参加の大山組です。大山組は初子様の健やかな成長を願い町民全員参加の楽しいまつりを目指します | ||||||||||||
卸本町 (おろしほんまち) |
世帯数 : 4戸 総人口5人 男性1人 女性4人 自治会長 :山内 致雄 |
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町由来 | 1971年5月米津町と田尻町の一部が合体しできた町。当地の卸商の団地が町の中心。 | ||||||||||||
たこ由来 | 参加当事は「HOC]浜松卸町センターのマークを使用。昭和53年から団地の「卸」を表現。 | ||||||||||||
尾張町 (おわり) |
世帯数 : 160戸 総人口349人 男性166人 女性183人 自治会長 :武藤 武 |
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町由来 | 昔は「紐垂れ」後に「下垂れ」と呼ぶ。家康が武田軍に追われ憔悴し,馬上の家康の兜の上紐が垂れ下がっているままだ。土地の人はこの土地を紐垂れ町と呼ぶそれが下垂れと呼ぶが,下のものを垂れ流す下品とのことで,この土地の尾張から移住した人の集団地、小字地名「尾張」を町名にした。 | ||||||||||||
たこ由来 | 下垂町と呼称「し」の字の肩に「垂」を書き、対象14年地域改正のおり尾張町と改名し「尾」の字を主体に太字とし、仮名の「オ」を亀甲に8字を蒔填め「り」で継ぐ法被の柄から凧印とした。御殿屋台あり | ||||||||||||
恩地町 (おんじ) |
世帯数 : 647戸 総人口1889人 男性969人 女性920人 自治会長 :鈴木 直治 |
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町由来 | 領主の心温かい配慮に感激して報恩の証としてその名を未来永劫にとどめるべく恩地と命名 | ||||||||||||
たこ由来 | 凧印は町名の頭字「恩」を表示。今川氏が恩を受けた土地の歴史沿革の一字を使用する。 | ||||||||||||
追分町 (城北・布橋) |
元歩兵六十七聯隊の所在地の関係から、聯隊旗に町名の「追」を記入した。今は頭文字「追」凧印は「旭日旗」、「兜」「を」「追」と変化、見分けがしやすいようにと理由から。 |