大工町 (だいく) |
男性71人 女性95人 自治会長 :池谷 敏彦 |
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町由来 | 住んでい居た。ここには遠州一円の「お宮」建築の宮大工もかなりいた。大工さんが大勢住んでいたので大工町と呼ぶ。 | ||
たこ由来 | 昭和39年代半より町の頭文字,以前の使用は氏神若様の定紋一つ巴の絵凧。ご殿屋台あり | ||
高丘町 (たかおか) 北村会長 長内組長 |
世帯数 : 357戸 総人口357人 男性347人 女性10人 自治会長 :北村 八 |
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町由来 | 1960年(昭和35年)高台の広陵地にできた町ということから名前をつけた。 | ||
たこ由来 | 図柄は他町の凧と同じに成らないように識別できるデザインに苦労した。 | ||
一言 | 高丘タ組21世紀に向け新たな気持ちで凧揚げ祭りに参加させて頂きます。15年目の節目。よろしく。 | ||
高丘東 (たかおかひがし) |
自治会長 :高丘町と同じ | ||
1丁目 | 世帯数82戸 総人口239人 男性116人 女性123人 | ||
2丁目 | 世帯数429戸 総人口1123人 男性599人 女性524人 | ||
3丁目 | 世帯数596戸 総人口1604人 男性802人 女性802人 | ||
4丁目 | 世帯数588戸 総人口1593人 男性810人 女性783人 | ||
5丁目 | 世帯数526戸 総人口1410人 男性716人 女性694人 | ||
高丘西 (たかおかにし) |
自治会長 :高丘町と同じ | ||
1丁目 | 世帯数523戸 総人口1127人 男性639人 女性488人 | ||
2丁目 | 世帯数194戸 総人口492人 男性252人 女性240人 | ||
3丁目 | 世帯数626戸 総人口1719人 男性908人 女性811人 | ||
4丁目 | 世帯数93戸 総人口180人 男性105人 女性75人 | ||
高丘北 (たかおかきた) |
自治会長 :高丘町と同じ | ||
1丁目 | 世帯数1021戸 総人口2736人 男性1395人 女性1341人 | ||
2丁目 | 世帯数829戸 総人口2254人 男性1146人 女性1108人 | ||
3丁目 | 世帯数533戸 総人口1244人 男性678人 女性566人 | ||
4丁目 | 世帯数269戸 総人口732人 男性383人 女性349人 | ||
高塚町 (たかつか) |
世帯数 : 1243戸 総人口3960人 男性1941人 女性2019人 自治会長 :青柳 博純(南) 井上 厚 (北) |
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町由来 | 古い時代、居住していた人が大津波の襲われ大勢が消息不明残った人が霊を慰めるために現在の熊野神社に祀る。大きな墳墓なので通称「大墓又は大塚」という。二度と災害が起らぬようにと、ここに大きな高い山を作ることに定めた、村人は沢山の砂を持ち帰って高い塚を作るいつのまにかこの地方で一番高い丘となったので「高塚」と呼ぶようになった。 | ||
高林 (たかばやし) |
世帯数 : 71戸 総人口163人 男性81人 女性82人 自治会長 :清水 信明 (高林町、高林1〜5丁目の全部) |
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1丁目 | 世帯数 : 210戸 総人口536人 男性251人 女性285人 | ||
2丁目 | 世帯数 : 254戸 総人口584人 男性280人 女性304人 | ||
3丁目 | 世帯数 : 374戸 総人口983人 男性472人 女性511人 | ||
4丁目 | 世帯数 : 173戸 総人口461人 男性216人 女性245人 | ||
5丁目 | 世帯数 : 51戸 総人口119人 男性66人 女性53人 | ||
町由来 | 三方原丘陵の小高い大地の上に広がる小松林にちなんでつけられたもの。土地の白山神社の神官が世襲の高橋氏。これと小高い林とが混同して発生。俗称「タカバシ」高橋から高林になったかも知れない。 | ||
たこ由来 | 町呼名頭平仮名文字「た」を図案化したもの。戦後参加。ご殿屋台あり | ||
高町 (たかまち) |
世帯数 : 274戸 総人口715人 男性318人 女性397人 自治会長 :栗崎 伸光 |
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町由来 | この町は天守閣から見ると、町の区域が「曳馬坂」を登った高い丘にあるので、高い丘の町ということで「高町」と呼ばれ昔は峠とも言っていた。大正14年三組、松城の一部で生まれる | ||
たこ由来 | 高町の豆菓子店の商標「おかめ印」目立,縁起から、天狗に対するおかめ、として登場した。古くは「高」の印使用した。ご殿屋台あり | ||
高町 凧揚会 お可免組(おかめぐみ)http://www.imix.or.jp/fuji78/home/maturi1.htm 高町(お可免組)にある藤原動物病院さんの凧ページ |
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滝沢町 (たきざわ) |
世帯数 : 204戸 総人口848人 男性423人 女性425人 自治会長 :山下 正之 |
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町由来 | 沢が各所に散在その流れが滝を形成。沢と滝による地理的条件が地名をつくった。 | ||
田尻町 (たじり) |
世帯数 : 385戸 総人口872人 男性393人 女性479人 自治会長 :神谷 英雄 |
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町由来 | 天竜平野の最南端の地帯であり、稲作の田んぼの終わりという意味で田尻という地名を生む | ||
立野町 (たての) |
世帯数 : 290戸 総人口896人 男性457人 女性439人 自治会長 :大塚 久喜 |
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町由来 | 天竜川の浅瀬ですすき野原であった。これを開墾して立派な畑としたので[立野」と命名。 | ||
たこ由来 | 町の頭文字「立」を力強く描く。 | ||
田町 (たまち) |
世帯数 : 258戸 総人口645人 男性304人 女性341人 自治会長 :岩倉 洪平 |
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町由来 | 町並みの両側には商家が並ぶが背後はほとんど田圃であった。この町の名付け由来。田町の氏神「分器稲荷」は豊作の神を祀る。 | ||
たこ由来 | 氏神文器稲荷神(光林寺)に因み棒持の宝玉紋を図案化して町印とする。ご殿屋台あり | ||
千歳町 (ちとせ) |
世帯数 : 104戸 総人口243人 男性111人 女性132人 自治会長 :神谷 善彦 天狗連 凧揚会http://www2.sala.or.jp/~jh2xva/maturi/maturi1.htm |
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町由来 | 大正14年,上後道、中後道、下後道、の三字が合体し「千歳繁栄・万歳」をここから祈願して「千歳町」と命名した。酔客は別名「チロリン村」と呼ぶ。 | ||
たこ由来 | 自ら達人と自惚れている天狗達、しかし凧名人はいた。大正14年後道から新町名となる。松尾神社が氏神、守護の猿田彦命こと天狗様をもって凧の心意気を表す。ご殿屋台あり | ||
堤町 (つつみ) |
町由来 | 遠州灘の波打ち寄せる際に最初の防波堤が築かれたところから「堤」の地名が生まれる説。 天竜川の大水災害から守るため各家が家の周りに土手を作って自己防衛した、このため町が天竜川の大水災害から守るため各家が家の周りに土手を作って自己防衛した、このため町が堤防のように高い位置にあったので「堤」の地名が発生した。 |
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恒武町 (つねたけ) |
町由来 | ここに六所神社が建てられた頃、桓武天皇のなん番目かの皇子が、都で政争をきらってこの土地に住み着いたので桓武と呼ぶようになったが呼び捨ては恐れ多い考えから桓を恒に。 | |
坪井町 (つぼい) |
町由来 | 津毛利神社は俗説、馬郡春日神社という。「津守」は後に訛って「坪井」になったと伝える説。 「坪」は海岸地帯の一定領域の区画をいう。この坪から真水が湧き出すから地名が出来た。津毛利のお宮のある土地から真水の井戸があることから「坪井村」できた説。 |
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都盛町 (つもり) |
町由来 | ここの町の近隣にある「津毛利神社」に由来する。都のように盛えるようにとの意図から。 | |
たこ由来 | 平成7年初参加、町凧のしるしは頭平仮名「つ」を力強く表す。 | ||
鶴見町 (つぼい) |
町由来 | 榛原郡金谷町の城主、鶴見因幡守栄寿がこの土地で生まれ一国城主になったのであやかってこの地を鶴見と呼ぶ説。 天にも届く大樹がそびえ立ちその木の頂上によく鶴が飛来した説 |
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寺島町 (てらじま) |
町由来 | この土地は寺と寺院の所有地が多く天竜川の流域で小高く中洲を形成し島のようだった。寺町とも呼ばれていたが、寺の多い島の中の村の意味から自然発生的につけられた。 | |
たこ由来 | 昭和22年有志で「テ」で参加、赤下地に白抜きの「テ」と白下地に赤文字の2種類で表現。ご殿屋台あり | ||
寺脇町 (てらわき) |
町由来 | この町にある4つの寺院を中心として町が区分されているところから「寺分け」と呼でいたがいつしか訛って寺脇の字を書くようになった。 | |
たこ由来 | 町の頭文字「寺」を大きく、稲穂がその字を浮き出している。 | ||
天神町 (てんじん) |
凧揚会(よろづや 秀)http://www.imix.or.jp/hide/ | ||
町由来 | 菅原道真を天神社に祭神としており、天神町の町名の由来になっている。 | ||
たこ由来 | 町頭文字「天」通称「ヨコテン」明治から凧が軽く揚がる伝統を誇る。ご殿屋台あり | ||
天王町 (てんのう) |
町由来 | 南朝方の長慶天皇がここに住みついたので「てんのう」と称した。大歳神社が鎮座している神社をこの辺の人々は「天王様」と呼ぶこれは買って「午頭天王」を祀ることに由来。 | |
たこ由来 | 歌舞伎的に町名を神仏の化身を表す隈取りにイメージしてデザイン化「天王」を表す。 | ||
伝馬町 (てんま) |
町由来 | 昔「十王町」と呼ばれ,その後この町の「名主」が浜松城主から「伝馬」の名を頂いた。以後伝馬の御用を十分果たすそれからのち、ここを「伝馬町」と呼ぶ。伝馬とは宿次の馬のこと,宿場には人馬の中継所があつた。街道の中心的存在である。 | |
たこ由来 | 町名の頭仮名字、青地に白抜き「て」、古くは上伝馬、下伝馬と分かれて当時は地染め組。ご殿屋台あり | ||
天竜川町 (てんりゅうがわ) |
町由来 | 昔は、長上郡橋羽村。浜松市に合併してから全国的に知られる天竜川駅名を借用して命名。 | |
たこ由来 | 「天竜」を凧印と判りやすいために町名を表す。 | ||
常盤町 (ときわ) |
町由来 | 常盤というのはトコイワのこと。常に変わらぬ岩の意味。常盤木は松、杉緑葉を保つ木をいう浜松の「松」との連想で永久に栄え発展を願い名をつける。 | |
たこ由来 | 常盤の表現にいろいろと工夫なし、トキワ、トなど変化なし、現在の輪続きにトと図案化した。ご殿屋台あり | ||
利町 (とぎ) |
町由来 | 武士の魂「刀剣類」を専門に研ぐ「研師」がこのあたりに集まって住んでいたので研町と呼ぶ後に「利町」とあらためられた。利巾(もうけ)が多かったので利町に変わった。 | |
たこ由来 | 消防組当時の纏印、現在は印がたて中心にまっすぐだが、大正末期は斜めに形どる図。 | ||
富塚町 (とみつか) |
町由来 |
こお町には古墳(塚)が至るところにあり、塚の宝庫。「意富塚古墳」という塚がある。このあたりから富塚と呼ばれるようになったらしい。古くは土塚、富塚という。
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富塚町 たこ由来 |
町頭文字「富」赤字の背景に3本のラインは、3つの川を意味する(新川、段子川、権現谷川) | ||
富塚町北 たこ由来 |
鯉の図柄に自冶会の「北」を配する。武田軍が攻めた折、あわてて鯉の片方の身を食べ残し池の中に捨てた、やがて鯉は出世して佐鳴湖の主になった。 | ||
富塚町西 たこ由来 |
「弥」の文字を蝶にデザイン化した「生」で丸く包むようにし、凧印とした。 | ||
富屋町 () |
町由来 | はじめは飛び屋敷に起源している。最初に住み付いた人は、隣の町から屋敷をとばしてきた人らしい。隣と隣がはなれていたので飛び屋敷と呼ぶ。ここは豊かな家が多く,素朴心と地味ない町で心は富んでいるの意味。富家町では富塚と間違えるので「富屋町」に改めた。年々歳々家は富み屋敷は立派にの意味の願いから町名にした。 | |
富吉町 (とみよし) |
町由来 | 1957年5月福地町より富吉町に改名。福の神が在る土地だから人々はみな富みさかえてよいことばかり幾久しくあるように願いを込めて命名。 | |
たこ由来 | 戦前は思いつきなどで色々使われたが昭和32年から二つ巴を使う。ご殿屋台あり | ||
豊岡町 (とよおか) |
町由来 | 農作物の豊富な収穫がある丘にを目標に「ひばりが丘」から「豊岡町」に改名。 | |
豊西町 (とよにし) |
町由来 | 1989年に豊田郡の西端にある村落ということで豊西と命名。 |