笠井上町 (かさいかみまち) |
世帯数 : 330戸 総人口1127人 男性546人 女性581人 自治会長 :天野 幸雄 |
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町由来 | 笠井町のきた隣で昔、上村と呼んでいた名称にちなんで笠井上町とした。 | ||
笠井町 (かさい) |
世帯数 :1393戸 総人口4383人 男性2131人 女性2252人 自治会長 :今井 重隆(第1) 村木 謙治(第2) 大石 仲一(第2) 島田 圭司(第5) 門奈 道夫(第6) 鈴木 康平(第7) 小栗 弘(第8) |
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町由来 | 福来寺の観音様より名前を取った説。天竜川の川辺に黄金の輝く物体を発見土地の人と相談して小祠を作って安置。 恐れ多いので笠をかぶせた又天竜川のちかく水が大変豊富からの意味の井をの二つから「笠井」の名がつく説。笠井という豪族が住んでいたのでの説。笠の材料がかなり栽培、人からかなりの評価される。水も豊富な所を井と呼ぶこの二つから笠と井をほこる土地、地名として笠井が誕生。 | ||
笠井新田町 (かさいしんでん) |
世帯数 : 835戸 総人口2822人 男性1411人 女性1411人 自治会長 :吉田 敏雄(第1) 高井 章好(第2) 小笠原 義明(第3) |
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町由来 | 笠井町の西南の町,天竜川の河床跡を切り開いて農作のできる田畑にしたこれより笠井新田。 | ||
鍛冶町 (かじ) |
世帯数 : 64戸 総人口158人 男性70人 女性88人 自治会長 :斎藤 房太郎 |
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町由来 | 刀剣類つくりの鍛冶師の町であったので鍛冶町と呼ばれた。 | ||
たこ由来 | 町名の頭字、檜扇に「か」の字を組合す檜扇は町の定紋。ご殿屋台あり | ||
春日町 (かすが) |
世帯数 : 151戸 総人口389人 男性191人 女性198人 自治会長 :岩井 桂 |
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町由来 | 可美村を分村し浜松に合併その時に、町名を公募。前身は可美村東明神と称す。春の日のように心やさしくあたたかい町をめざす。「春日町」と命名 | ||
金折町 (かなおり) |
世帯数 : 352戸 総人口1139人 男性562人 女性577人 自治会長 :磯部 馨 金折町 凧揚会http://village.infoweb.or.jp/~fwhp1311/tkag1.htm |
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町由来 | このあたりに「宇津志日金拆命」(うつしびかなさくのみこと)が住居していた伝説により地名が誕生。金拆(かなさく)の拆はあまり縁起がよくないからと[金折」にかわった | ||
たこ由来 | 凧印は町名の頭文字を表現。 | ||
上浅田 (かみあさだ) |
一丁目 | 世帯数 :417戸 総人口1013人 男性511人 女性502人 自治会長 :鈴木 成嘉 町由来 : たこ由来 : |
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二丁目 | 世帯数 : 310戸 総人口752人 男性391人 女性361人 自治会長 :今井 繁司 |
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上新屋町 (かみあらや) |
世帯数 : 538戸 総人口1514人 男性754人 女性760人 自治会長 :本田 榮一 |
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町由来 | 源家の御曹子がこの土地で6歳になるまで育てられた。この子供が住む館が建てられた時「上新屋」なる地名が生まれた説。丸塚村の人が開墾して切り開いた新田で、新しい家屋が何軒も建てられた丸塚の上にできた新しい家屋のある村の説。家康がひどい皮膚病に掛りその時、土地の灸師が病気を治した、このお礼に浜松城の方向より上の地に新屋を与える説 | ||
たこ由来 | 昔、縁台将棋の盛んな時、周辺地域での対戦では負けを知らないとこらから将棋図の中に町の頭文字「上」を記した凧図にした。 | ||
上石田町 (かみいしだ) |
世帯数 : 638戸 総人口2022人 男性1033人 女性989人 自治会長 :馬渕 隆義 |
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町由来 | 大洪水の来襲を度々うけ田畑H荒れた、そのため田畑は石だらけ、いつも石が多い田で石田上にある石田で「上石田」となった。 | ||
たこ由来 | 明治時代に消防隊の印に、当時興行をした一座の紋を取り入れデザイン化した「イ菱」を使う。 | ||
神ケ谷町 (かみがや) |
世帯数 : 968戸 総人口3093人 男性1523人 女性1570人 自治会長 :鈴木 惣一 |
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町由来 | 古くは,賀久礼(カクレ)Kから「神箇谷」今の「神が谷」になった。神様が鎮座しているなだらかな丘陵と丘陵の谷間の土地の意味。 | ||
上島 (かみじま) |
一丁目 | 世帯数 : 477戸 総人口1327人 男性675人 女性652人 | |
二丁目 | 世帯数 : 472戸 総人口1224人 男性614人 女性610人 | ||
三丁目 | 世帯数 : 766戸 総人口2029人 男性1000人 女性1029人 | ||
四丁目 | 世帯数 : 365戸 総人口1042人 男性521人 女性521人 | ||
五丁目 | 世帯数 : 500戸 総人口1244人 男性632人 女性612人 | ||
六丁目 | 世帯数 : 713戸 総人口1787人 男性906人 女性881人 | ||
七丁目 | 世帯数 : 380戸 総人口988人 男性492人 女性496人 | ||
自治会長 :渡邊 健 (上島町東) 廣野 耕作(上島町西) 大木 繁吉(上島町南) 吉野 哲司(上島町北) |
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町由来 | 万葉の時代の町一帯は海の中初、めに住み着いたのは西地区の広陵地で、東方の中洲から見れば島のように見えた、西の丘をさして上島と呼んでいた説。上ムラと呼でいたのがいつのまにか上島に変わった。「島」はムラの意味 | ||
たこ由来 | 凧印は町名の頭文字一字「上」。初子の成長を天(上)まで願いを込めて祝う。 | ||
神田町 (かんだ) |
世帯数 : 1255戸 総人口3510人 男性1780人 女性1730人 自治会長 :神田 泰明 |
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町由来 | 可美村大字明神野が分離浜松に合併。明神という言葉からこの地が神にかかわりを持ったと想像できる。伝承的風土から「神」がやどる「田」とのかんがえから(かみだまち)と命名。 | ||
たこ由来 | 町の頭文字「神」を大きく表す。 | ||
上西町 (かみにし) |
世帯数 : 1096戸 総人口2872人 男性1469人 女性1403人 自治会長 :清水 伊平 |
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町由来 | 1886年上乃郷村と西在所村の頭文字一字で「上西」とした。天王の西で蒲神明宮の西ということから上西と呼ぶ。 | ||
たこ由来 | 氏神の冨士神社の御神紋を示し、天狗の追い風に乗り青空へ揚がれの願いからと町頭文字を右上隅に記しデザイン化ご殿屋台あり | ||
神原町 (かみはら) |
世帯数 : 337戸 総人口1089人 男性523人 女性566人 自治会長 :小澤 登 |
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町由来 | 神田原の田を省いてなった説。神久呂村に所在する丘陵地の上の原という意味で呼ばれる説神々の里の意味であるが両方の意味からつけられた。 | ||
たこ由来 | 凧印は「神」の一字を大きく書いた町名の頭文字。 | ||
鴨江 (かもえ) 鴨江北町 (かもえきたまち) |
鴨江町 | 世帯数 : 97戸 総人口225人 男性94人 女性131人 | |
一丁目 | 自治会名 : 世帯数 : 867戸 総人口2146人 男性1000人 女性1146人 自治会長 : |
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二丁目 | 自治会名 : 世帯数 : 1165戸 総人口2820人 男性1369人 女性1451人 |
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三丁目 | 自治会名 : 世帯数 : 1311戸 総人口3073人 男性1484人 女性1589人 |
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四丁目 | 自治会名 : 世帯数 : 434戸 総人口1142人 男性510人 女性632人 |
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自治会長 | 佐藤 克治(鴨江北町) 田中 通晴(鴨江西町) 伊藤 平三(鴨江南町) 鈴木 瑛稔(鴨江東町) |
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鴨江町由来 | 町内を東西南北に区分しそれぞれに自治会を置く。昔の佐鳴湖は鴨江近くまで満々と水をたたえた入り江で,鴨が群をなし,「入野の江」と呼ばれていた。鴨江とはその情景にちなんだ名前。 | ||
鴨江町 たこ由来 |
変田仮名文字「か」の字を使う。ある年鴨江観音十王堂の閻魔大王を書いた事もある。凧印は可の字を変体仮名で書く。ご殿屋台あり | ||
鴨江東町 | 東海道筋の伝馬町から鴨江寺に通ずる道を鴨江小路という | ||
鴨江西町 | 7部会からなっている。大部分が2丁目だが,3,4丁目の一部がはいっている。1945年頃,根上松付近一帯は,水田,田,小川,のある田園地帯であった | ||
鴨江南町 | 昔は,長者平の地名が有る敷智郡東鴨江村,農家の点在する広陵大小の道路に囲まれた町である。鴨江寺から燈籠坂を下り伊場に至る秋葉道の一帯,鳥井坂(監物坂)から鴨江寺へ行く道筋一帯,現在の旅館街(平成道り)を抜け、快真寺に至る道路筋などが,主な町の範囲。鴨江旅館街がほぼ町の中心で,全体的に落ち着いた家並みの町である。 | ||
鴨江北町 | 大正のころ住民の数も少なく,小高い山ばかり,地元の人は賑わうために,浜松警察署,隔離病舎,拘置所,旅篭町の遊郭を誘致し女の人でも夜安心して通れるようにした。昭和になって町らしい発展をした。町内会発足は1942年。昭和60年凧揚げ祭り鴨江組から分離「鴨北組」初参加,平成元年屋台完成。 | ||
鴨江北町 たこ由来 |
昭和60年鴨江から分離独立参加、町民から募集したのを基に図案化した町頭文字。ご殿屋台あり | ||
河輪町 (かわわ) |
世帯数 : 424戸 総人口1392人 男性685人 女性707人 自治会長 :吉野 廣(上) 武田 多慶雄(下) |
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町由来 | 天竜川の河口すなわち輪口という意味。天竜川の流れが湾曲していたことに由来説。 | ||
舘山寺町 (かんざんじ) |
世帯数 : 987戸 総人口2731人 男性1300人 女性1431人 自治会長 :幸田 祐三 |
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町由来 | 江戸時代から客が訪れその景色をめでたい名称「館山」(たてやま)がある。この中に館山寺がある。庄内堀江から俗称で館山寺1966年町名とした | ||
北島町 (きたじま) |
世帯数 : 1065戸 総人口2941人 男性1487人 女性1454人 自治会長 :高橋 善雄 |
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町由来 | 本村の安間村の北西の位置、大水のとき、孤島になるところからの意味で「北島」と名づける | ||
北寺島町 (きたてらじま) |
世帯数 : 806戸 総人口1869人 男性930人 女性939人 自治会長 :河合 義雄(東町) 小梢 進 (西町) 高田 幹夫(本町) 北寺島 凧揚会 http://www.kappa119.com/~kitten/ |
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町由来 | 1925年(大正14年)5月寺島町と分町した。R寺島町の北に所在する町から命名。 | ||
たこ由来 | 町の頭文字「北」を表す。ご殿屋台あり | ||
北田町 (きたたまち) |
世帯数 : 85戸 総人口217人 男性99人 女性118人 自治会長 :杉本 眞三 |
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町由来 | 田町の飛び地で田町北新道と呼ばれた。元城,早馬,下垂の一部を割譲して新設。大正14年(1925年)5月1日独立した町。 | ||
たこ由来 | 凧印は、葺きおろし「しころ」に大鍬形、面鉄を配し図案化、端午の節句、尚武にちなみ勇壮な兜を凧印としている。 | ||
木戸町 (きど) |
世帯数 : 271戸 総人口615人 男性312人 女性303人 自治会長 :河合 寛彦 |
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町由来 | 城下町の市街地のはずれで交通の要衝地に設置されている警備の出入口の木戸が由来。馬込橋東に浜松城下町の外木戸が設けられた浜松の城門の役目、関所の取締まりの役割 | ||
たこ由来 | 木戸町の仮名頭文字「き」が凧印。ご殿屋台あり | ||
貴平町 (きへい) |
世帯数 : 218戸 総人口692人 男性366人 女性326人 自治会長 :杉山 稔(上) 竹林 義人(下) |
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町由来 | 万葉集に伎倍(ひのへ)と伎倍人(きへびと)がでるがこの土地のこと。いつしか「貴平」の説。都落ちした大宮人が住み付いた小高い丘の意味で「貴平」説。戦いに敗れた平家の公達がここに住んだので貴族平家から二字を取り貴平の説。 | ||
協和町 (きょうわ) |
世帯数 : 140戸 総人口548人 男性265人 女性283人 自治会長 :野中 弘 |
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町由来 | 村民全員が助け合いながら協力して住みよい平和な村の願いから「協和」が発足。 | ||
国吉町 (くによし) |
世帯数 : 262戸 総人口845人 男性420人 女性425人 自治会長 :高橋 満(第一) 木下 恒夫(第二) |
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町由来 | 高橋右近太夫の長男、左近将監国吉が住んでいたのでなずけられた。 | ||
倉松町 (くらまつ) |
世帯数 : 450戸 総人口1535人 男性759人 女性776人 自治会長 :本多 隆勝 |
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町由来 | 名主代官の庄屋は徴収した年貢米を入れる「百表倉」が松で囲まれていたので「倉松」説。古くは「蔵松」の字を使用。古文書には「鞍松」の字もあるから馬との関係も考えられる。 | ||
たこ由来 | 凧の絵柄は町の頭文字「く」を海浜一帯に群生する松の老樹で囲み松の緑を取り入れ文字を赤色で表している。 | ||
呉松町 (くれまつ) |
世帯数 : 317戸 総人口1252人 男性630人 女性622人 自治会長 :萩 貢 |
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町由来 | 由緒が不明だが、朝鮮の呉人の居住した土地の松を指した意味。呉人が集団して住んだこのあたりは松原続きの海の近くこのあたりからかとかんがえる。 | ||
元目町 (げんもく) |
世帯数 : 169戸 総人口364人 男性161人 女性203人 自治会長 :渡瀬 荘太郎 |
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町由来 | 浜松城の出入口の一つに玄黙口(げんもく)がある。城の東北隅に位置。ここには玄黙寺があった。徳川中期このころから過去ことになりかけた、このころから「元目口」に変わる。元目と下池川の一部が合体町ができる。 | ||
たこ由来 | 凧の絵柄は、初子が元気に育つようにと「元」の字を真中に背景を赤で目の連続模様を配す。町頭文字を使う。明治時代は鬼の絵図を使うこともあった。ご殿屋台あり | ||
小池町 (こいけ) |
世帯数 : 2161戸 総人口5878人 男性2962人 女性2916人 自治会長 :高杉 健一 |
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町由来 | この村は広く潤沢な土地田畑の南端に小さな池がこの村のシンボル。小さな池を持つ村からいつのまにか小池と呼ぶ。 | ||
たこ由来 | 昔、小さな池に生息する生物から淡水魚の王者「鯉」を凧揚げの王者にと考え選ぶ。 | ||
神立町 (こうだち) |
世帯数 : 647戸 総人口1607人 男性792人 女性815人 自治会長 :大石 功二 |
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町由来 | 神社所在地を指す地名。神館(かんだち)にねざし、神社のすぐ横にあり神事儀式を行うなどがこもる館といわれる。「蒲神明宮」のある町で由緒もなりたちも神明宮につながる神様によってなり立っていた町、神立町である。 | ||
紺屋町 (こうや) |
世帯数 : 142戸 総人口312人 男性140人 女性172人 自治会長 :大城 裕一 |
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町由来 | この町で全ての染色を一手に引き受けていた。紺屋が多数あったところからつけられた。 | ||
たこ由来 | 定紋は鳥兜。 崩し字は一時的に使用する。以前は町の旗印の鳥兜だが遠目が悪いため頭字の簡単なコの字になった。 | ||
御給町 (ごきゅう) |
世帯数 : 108戸 総人口345人 男性172人 女性173人 自治会長 :鳥居 正廣 |
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町由来 | 家康が一度は自分の物としたが,自分の意志で働く農民に土地を与えた。授けられた命名。 | ||
小沢渡町 (こざわたり) |
世帯数 : 996戸 総人口2945人 男性1488人 女性1457人 自治会長 :吉野 台二 湯元 幸夫(小沢渡町住宅) |
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町由来 | 昔、池や小さな池や沢が多く存在しする湿地地帯。ここの路は小さな沢を必ず渡るとこらから。 | ||
たこ由来 | 凧印は、赤は太陽、青は空を意味、正方形の升目は町が益々の発展を祈願する意味から、中央に町仮名文字を配置した印になった。 | ||
湖東町 (ことう) 山下会長 桔川組長 |
世帯数 : 1733戸 総人口5492人 男性2680人 女性2812人 自治会長 : 山下 |
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町由来 | 1960年浜松市に合併,浜名湖に接している東地区で浜名湖と関係が深いことから「湖東」 | ||
たこ由来 | 町の頭文字「湖」。浜名湖の湖と町名の頭文字をとってひげ文字で表す。 | ||
組の特徴 | 湖東の凧揚げ会,発足して今年で12年目です。町内の凧は役員で製作しています。 役員の性格は控えめですが内に秘めた闘志は他町内に負けないものがあります 凧揚げ合戦でなく酒飲み合戦なら上位に食い込めそうです |
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町内のPR | 浜松市の西の玄関であるインタ−チェンジがあり,観光客が絶えず往来しています これからもっともっと発展しそうな町です |
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組長の抱負 | 21世紀初年度の湖東組の組長に任命され大変光栄です。 怪我,事故なく粋で楽しい祭りにしたいと思います |
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一言 | たかが凧,されど凧、楽しくなければ祭りじゃない | ||
古人見町 (こびとみ) |
世帯数 : 686戸 総人口2340人 男性1125人 女性1215人 自治会長 :鈴木 昭和 |
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町由来 | 古人見が館山寺大草山から眺望すると三方原丘陵地帯の鼻のように見えたから「古鼻止美」と人々は呼んだ。小人から古人に字が転化。 | ||
子安町 (こやす) |
世帯数 : 739戸 総人口2036人 男性961人 女性1075人 自治会長 :水下 浩 中村 七五良(子安団地) |
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町由来 | 古くは子易(こやす)の森とよばれ宿駅としてあった。源頼朝の実弟の一人娘藤姫の安産祈願し「子安神社」が鎮座。無事安産したことと、子易の森とを因み子安町とした。 | ||
たこ由来 | 凧印は町の頭文字「子」赤の地に白抜きの「子」文字。ご殿屋台あり |