中郡町 (なかごうり) |
町内の人口 | 世帯数:1242戸 人口総数:3989人 男性:1998人 女性:1991人 | ||
町の由来 | 長上郡の真中に位置している穀倉地帯であった長上郡の中にあることから中郡と称す。 | |||
中里町 (なかざと) |
町内の人口 | 世帯数:307戸 人口総数:976人 男性:494人 女性:482人 | ||
町の由来 | 中野町村の中心の「サト」という意味で中里と名つける。 | |||
中沢町 (なかざわ) |
町内の人口 | 世帯数:1194戸 人口総数:2873人 男性:1420人 女性:1453人 | ||
町の由来 | 三方原広陵東側斜面の水を集めて流れる水の群が常楽寺周辺で中規模の「沢」を形成するこのことにより「中沢村」の名前ができた。沢がいくつもあったので中沢とも呼ばれたという。曳馬野の真中にある「沢」から由来するとも言われる。 | |||
中島町本町 (なかじま) |
中島1丁目 中島2丁目 中島3丁目 中島4丁目 中島町 |
世帯数:570戸 人口総数:1535人 男性:713人 女性:822人 世帯数:403戸 人口総数:1161人 男性:562人 女性:599人 世帯数:465戸 人口総数:1182人 男性:585人 女性:597人 世帯数:243戸 人口総数: 624人 男性:286人 女性:338人 世帯数: 4戸 人口総数: 9人 男性: 5人 女性: 4人 |
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町の由来 | ||||
凧の由来 | 町頭文字「中」を外側に、本町の「ほ」を内側にデザイン化して表す。 | |||
中島町市場 (なかじま) |
町の由来 | |||
凧の由来 | 中島町に市場があったので、市場の市の字を使う昭和23年から毎年参加。 | |||
中島町諏訪 (なかじま) |
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町の由来 | ||||
凧の由来 | 諏訪町の頭平仮名「す」を中心に「わ」を8つの輪に表し町の凧印とする。 | |||
中田島町 (なかたじま) |
町内の人口 | 世帯数:783戸 人口総数:2472人 男性:1225人 女性:1247人 | ||
町の由来 | 天竜川の運ぶ砂や堆積物によって河口につくられた孤立した島の中に出来た島の陸地内には田や稲作が行われていた人々は中田島と呼んだ。 | |||
中田町 (なかだ) |
町内の人口 | 世帯数:601戸 人口総数:1367人 男性:619人 女性:748人 | ||
町の由来 | ここの中州の中央に位置している場所に開発された田ということで中田説。庄屋を永年務めた木村家の旧来の氏は中田ということからつけられた。 | |||
凧の由来 | 町の名前「中田」を凧印。小さな町の名を知ってもらうためとか | |||
中野町 (なかのまち) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
町の由来 | 中野町の旧名、町屋村は相当昔より街道町を形成して、家屋がつらなっていたので町屋村と称したと語る。東海道の江戸と京都のちょうど中間にあたるところから中の町村と呼ぶ。 | |||
中山町 (なかやま) |
町内の人口 | 世帯数:232戸 人口総数:593人 男性:290人 女性:303人 | ||
凧の由来 | 以前、付近一帯の山をウサギ山と呼んだためウサギの絵柄を凧に用いたときもあった。 | |||
町の由来 | 大正14年に浜松市が地積整理を施行した折りに発足。それ以前は敷智郡東鴨江村に属していた。土地に古くから「中山」という字名があったので利町、三組,鴨江各一部を組込み発足。 | |||
長田町 (ながた) |
町内の人口 | 世帯数:140戸 人口総数:492人 男性:251人 女性:241人 | ||
凧の由来 | ||||
町の由来 | 二つの字が町になる際して、長十郎新田の長と権右衛門新田の田をとって長田町と命名。 | |||
長鶴町 (ながつる) |
町内の人口 | 世帯数:300戸 人口総数:765人 男性:385人 女性:380人 | ||
凧の由来 | ||||
町の由来 | 長方形の形をした湿地帯。かっては葦原で「鶴」が彼方より舞い降りた土地。長い地に鶴が舞いおりたから長鶴と口伝される。 | |||
名残町 (なごり) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 凧の印は名残町の「名」文字をデザイン化した青地に白抜き「名」を凧印として表す。 | |||
町の由来 | ||||
茄子町 (なすび) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 町の頭文字「茄」を表し、凧も法被も茄子紺の色に統一している。 | |||
町の由来 | 敷地郡茄子一色村とよばれていた頃「ナス」の特産地であったため。この村を地図に描くと「なすび」の形になる。ゆえに「茄子」。関西方面からきた人が当地を開拓した人が「なす」が好物であった。この何れから名命。 | |||
名塚町 (なづか) |
町内の人口 | 世帯数:477戸 人口総数:1389人 男性:698人 女性:691人 | ||
凧の由来 | 奈津賀神社の頭文字「奈」を凧印としている。 | |||
町の由来 | 名切と塚越の二つの字が一緒になり頭文字をとってつけられ奈津賀神社を合祠する。名切とはこのあたりにうっそうと繁茂している草木ヲ、薙(な)いで開墾した土地を指す。 | |||
成子町 (なるこ) |
町内の人口 | 世帯数:285戸 人口総数:654人 男性:321人 女性:333人 | ||
凧の由来 | 菱形に「成」判じ絵にて成子町を表現する。由来は不明。 | |||
町の由来 | 古くは「啼子坂」後に「鳴子坂」となりさらに「成子坂」に改めた。昔から寺が多く「寺町」とも呼ばれた。 | |||
平田町 (なめだ) |
町内の人口 | 世帯数:70戸 人口総数:220人 男性:105人 女性:115人 | ||
凧の由来 | 頭文字の平にある年には花カルタの図柄を記入、現在は檜扇(緋扇)に町定紋。琉球の使者が将軍家に献上する際、当地で病死その遺品、緋扇を凧印として使う。 | |||
町の由来 | 伝馬町と旅篭町の境から東(砂山町)へ通じる道路に沿って出来た町。かっては鴨江方面から流れてくる堀川があり南側ばかりに人家の立ち並ぶ片側町であった。堀川の北側沿いには松の木が並ぶ堤があった。「ナメシ田の転じたもの」「ナメリ田のなまったもの」と由来定かでない。 | |||
南栄 (なんえい) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 自冶会名の「南」に馬込川を表す三本斜線を背景を凧印とする。瓜内、法枝、田尻の三町の住民の協調してふるさとつくりの願望を象徴したもの。 | |||
町の由来 | ||||
西浅田 (にしあさだ) |
一丁目 二丁目 |
世帯数:310戸 人口総数:658人 男性:343人 女性:315人 世帯数:320戸 人口総数:844人 男性:424人 女性:420人 |
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町の由来 | ||||
西伊場町 (にしいば) |
町内の人口 | 世帯数:1434戸 人口総数:3939人 男性:1924人 女性:2015人 | ||
凧の由来 | 町名の頭文字「西」を誰にでも分かると凧印に決めた。 | |||
町の由来 | 都市計画上工業地域。JT(日本タバコ産業)や多くの工場が集まっている。 | |||
西丘町 (にしおか) |
町内の人口 | 世帯数:263戸 人口総数:795人 男性:412人 女性:383人 | ||
町の由来 | 三方原大地の西にそそり立つ丘の町の意味。浜松市でも新しいニュータウン。 | |||
西鴨江町 (にしかもえ) |
町内の人口 | 世帯数:173戸 人口総数:569人 男性:283人 女性:286人 | ||
町の由来 | 浜松の3観音の一つがこの町にある。東鴨江に対するとの関係で百年後れて称される。東鴨江に劣らない馬頭観音があるところから呼ばれる。 | |||
西上池川町 (にしかみいけがわ) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 昭和18年大きな町を二分、三分に分けた。、戦後復活凧揚げの昭和22年5月初参加。神明宮境内の桜の花びらを使用,花びらの真中に池川の池を抱えた桜花池の図案絵凧。 | |||
町の由来 | ||||
西ケ崎町 (にしがさき) |
町内の人口 | 世帯数:1188戸 人口総数:3629人 男性:1816人 女性:1813人 | ||
凧の由来 | ||||
町の由来 | ||||
西島町 (にしじま) |
町内の人口 | 世帯数:547戸 人口総数:1514人 男性:714人 女性:800人 | ||
凧の由来 | 赤と青の白抜きで町名を,赤は町民の情熱を青は雄大な遠州灘,天竜川を表し黄色は太陽の下で住み良い町作りを願う気持ちが込められて町名「西島」を配しデザイン化。 | |||
町の由来 | 天竜川の大きな河口の中州に土砂の堆積により島となる。五島地区のあちらこちらにも島ができた。一番西の位置に所在している島ということから西島とよぶようになった。 | |||
西塚町 (にしずか) |
町内の人口 | 世帯数:291戸 人口総数:712人 男性:361人 女性:351人 | ||
町の由来 | 古墳時代から平安初期にかけてここに文化を担った人達の古墳と想像される塚があった。この塚のある西方にムラをつくたので西塚と呼ぶ。塚は堤の意味。この土地の西に堤があり西堤と称したのが西塚とやる説。 | |||
西菅原町 (にしすがわら) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 元上新町(堀留)は菅原道真の「菅」文字を使用して参加。 | |||
町の由来 | ||||
西町 (にし) |
町内の人口 | 世帯数:397戸 人口総数:1275人 男性:632人 女性:643人 | ||
凧の由来 | 町の頭平仮名文字「に」を簡単で揚がったときはっきり見えることから決めた。 | |||
町の由来 | 西という地名は本来河輪西と呼ぶべきでこの土地の西の地点に属していたから生じた。 | |||
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | |||
西山町 (にしやま) |
凧の由来 | 町の頭仮名文字「二」凧が天高く揚がったときはっきり分かる理由で決めた。 | ||
町の由来 | 三方原台地の西にある小高い山を形成しているから西山と呼ぶ。 | |||
新橋町 (にっぱし) |
町内の人口 | 世帯数:1386戸 人口総数:3972人 男性:1962人 女性:2010人 | ||
凧の由来 | 町名の頭平仮名「に」を中央に配し図案化した凧印を使う。 | |||
町の由来 | 1951年浜松市に合併。家康が小沢渡町にあった高塚池と東若林の沼田池それぞれくびれたところから長い橋が架橋されたのでこれを「新橋」と呼ぶ。 | |||
布橋 | 一丁目 二丁目 三丁目 |
世帯数:313戸 人口総数:694人 男性:354人 女性:340人 世帯数:623戸 人口総数:1326人 男性:677人 女性:649人 世帯数:369戸 人口総数:889人 男性:458人 女性:431人 |
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町の由来 | 武田軍との戦いに、犀ヶ崖の上に大きな道の橋があるように見せかけるために、両端に布を掛け、その上に土をのせ、らんかんを紙で作る。多くの兵士が落下して死んだ。布橋の地名は「布でつくった橋」から誕生する。 | |||
布橋北 (ぬのはし) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 日烏(飛可羅寿ひからす)の絵凧を印。神のお使いのからすの話しが凧に表した理由は不明。名残町の凧として昔より揚げられた伝統ある凧印。 | |||
布橋南 (ぬのはし) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
凧の由来 | 空に揚がれば簡単ですっきりしたのがよいと,町頭文字「布」を白地に赤の印に決める。 | |||
根洗町 (ねあらい) |
町内の人口 | 世帯数:1120戸 人口総数:2877人 男性:1341人 女性:1536人 | ||
町の由来 | 町名は根洗の松という古松が有った事から取った町名・ | |||
鼠野町 (ねずみの) |
町内の人口 | 世帯数:戸 人口総数:人 男性:人 女性:人 | ||
町の由来 | 町に住み着いた人々が大きな樹木の根元に雨露がしのげる家を建て生活し、土地を開発その事から「根住」(ねずみ)と呼ぶいつしか転訛して「鼠野」となった説。野原ころ,野鼠が非常に多く出没,鼠の住みかのような野原だった人々は[鼠野]と呼ぶ説。 | |||
野口町 (のぐち) |
町内の人口 | 世帯数:990戸 人口総数:2537人 男性:1191人 女性:1346人 | ||
凧の由来 | 町の仮名文字「の」を表す。昭和5年から38年までは打手の小づちを図柄,御殿屋台を建造したのを機会に現在の「の」のデザインに改めた。 | |||
町の由来 | 曳馬野入口の略であると思う。曳馬野への坂の登り口でもあった。野の口から野口と呼ぶ。 | |||
法枝町 (のりえだ) |
町内の人口 | 世帯数:362戸 人口総数:1066人 男性:518人 女性:548人 | ||
町の由来 | 仏教が地区の隅々まで浸透している町というとで町名が発生。今は仏教と縁がないが1978年、全村の家があげて神道禊教に集団転向した歴史がある。 |
Last updated: 01/03/06♪